評価はなぜ「事実」に基づくべきか?
■ はじめに
評価制度において、「評価は事実に基づくべきである」という原則は、単なるルールではなく、制度全体の信頼性と公正性を支える土台です。本稿では、その理由と、評価判断を行う際にどのように事実に立脚すべきかを整理します。
■ なぜ「事実」に基づくべきなのか?
0. 「見ていないから評価できない」という誤解について
しばしば「業務に直接携わっていない人間が評価できるのか?」という疑問が挙がりますが、これは事実ベースでの評価制度においては誤解です。評価は“その人とどれだけ一緒に働いたか”ではなく、“誰が見ても理解できる事実が示されているか”によって判断されるべきです。実際に業務に携わっていない立場でも、提示された事実に対して客観的に判断することができるように設計されており、むしろ役割として感情や関係性に左右されない公平性を担保することが求められています。
1. 評価は“再現性ある能力”を測るためのものだから
評価は「一時的な成果」ではなく、「再現可能なスキルや行動パターン」を測るものです。事実が伴っていなければ、それが再現可能な能力かどうかを判断できません。
2. 印象や感情はバイアスの温床になるから
「一緒に働いた印象がいい」「なんとなく頑張ってる気がする」など、主観的な評価は評価者ごとにブレが生まれます。事実に基づかない評価は、不公平感を生み、制度全体の信頼性を損ないます。
3. 評価の透明性と説明責任を担保するため
事実が明示されていれば、「なぜそのスコアなのか」を第三者にも説明できます。納得感のある評価は、組織内の信頼とフィードバック文化の醸成につながります。
■ 評価対象は基本的に「発揮された能力(=成果・行動)」
「能力」とは本質的に「問題解決能力」のことであり、それを発揮できなかった理由を“外部要因”のせいにするのは、「評価という文脈においては矛盾します。
なぜなら、すべての能力とは、人が「問題を解決するために役立つ行動傾向」をメタファーとして定義づけた概念に過ぎないからです。真に高い能力とは、“問題”そのものを再定義し、“制約”すら味方につける力のことを指します。
したがって、すべての能力評価は、問題を解決した実績。「何ができるか」ではなく「何をしたか」で判断することが公正であり重要です。しかし実際の現場では、能力があるが発揮できない状態、または能力があるが発揮する機会を与えられなかった。ということがしばしばあります。
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精神的に追い詰められていた
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体調が極端に悪かった
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組織的圧力やハラスメントで思考停止していた
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上司が非合理な指示を強要してきた
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家庭環境が急変した
これらは「能力があったとしても発揮が困難な環境や状態にあった」という状況であり、「能力がない」とイコールではありません。能力とパフォーマンスは区別して考える必要があります。
評価者としての正しい判断は、次のような多軸評価によって成り立ちます。
→ 発揮された成果・行動に応じて点数や報酬を反映(=短期的事実ベース)
→ 発揮されなかった理由を分析し、再発防止(本人要因)、配置転換や支援(環境要因) などの判断材料に活かす
■ 評価判断の行い方:ファクトベースで判断する3ステップ
STEP 1:行動や成果の“記録”を求める
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「何をしたのか?」「どんな成果につながったのか?」を本人から明文化してもらう。
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ナレッジベース・成果物・レポートなど、第三者に伝わる形での記録を重視する。
STEP 2:再現性・構造性・影響範囲で読み解く
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その行動や成果は「一時的な成功」なのか、「仕組み化・再現可能な取り組み」か?
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スコア4以上に関しては他人が同じように実行できる状態になっているか?
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スコア4以上に関してはチームや組織にどう貢献したか?
STEP 3:スコア定義と照らし合わせて整合性を見る
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MCCやその他のスコア定義に基づき、「この内容はレベル2か?3か?4か?」を判断。
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評価は“感覚”ではなく、“定義との一致度”でつける。
■ 事実こそ、評価における共通言語
評価とは、単なる“過去の裁定”ではなく、未来のための“再設計”でもあります。事実に基づいた評価は、信頼と成長の両方をもたらす唯一の土台です。
評価が感情や印象に流された瞬間、制度は形骸化します。逆に、事実に基づく評価は、個人の成長を支え、組織に対話と信頼の文化を育てます。
評価とは、正しく見ることであり、正しく伝えることであり、そして正しく育てるための出発点です。その起点にあるのが、事実です。